面会交流について、現状の裁判所の一般的な運用について、問題点は多々ありますが、今回は面会交流において、月1回の日帰りが標準的な面会交流とされている点です。
現状、面会交流は月1回の日帰りが標準的な解決策で、当事者双方がより充実した面会交流を望む場合はより多く、どちらかが難色を示している場合はより少なくという決まり方をします。
月に2回だとか、宿泊付きの面会交流を調停の場で要求すると、調停委員から過大な要求をしているような反応をされたうえで、「相手が納得するでしょうか」等とゆるい拒絶をされることも珍しくありません。
ただ、面会交流の本来の目的が、子どもにできる限り父母双方と共同生活しているときと同じように父親と交流させることで、離婚に伴う子どものダメージを最小限に抑えて、子どもの健全な発達を目指すことにあるのであれば、月1回の日帰り面会交流が少なすぎるのは明らかです。
月1回の面会交流では、面会交流中、集中的に遊ぶなり話すなりということになりがちです。これは、父子の交流として明らかに不自然です。子どもは子どもとして(ゲームをするなりして)遊んでいて、その同じ空間に父親もいて(「ゲームばかりじゃだめだぞ」などとか言いながら)という関係こそが自然といえます。
このような関係を形成するためには、月に2回の宿泊付きの面会交流が必要と思われます。もちろん、それぞれの事情により、月2回の宿泊付き面会交流が難しい場合もあります。あくまで、標準的なモデルを月1回の日帰りではなく、月2回の宿泊付きにするのほうがよいということです。
月1回の日帰り面会交流があたかも標準的だと考えられてしまう背景には、面会交流は母親の厚意によって「させてあげている」という考えがあるように思われます。
つまり、面会交流は本来する必要がないのだが、父親の要求もあるし、子どもの福祉にもかなうということなので、多少はしなければならない。とはいえ、色々と大変なので何とか調整できるぎりぎりの範囲として、「月1回の日帰りならなんとか」という考えが出てきているものと思われます。
母親が子どもを連れて別居するにあたっては、住む場所をどうするか、経済面をどうするか等を考えて、「何とかなりそうだ」ということで決行されます。この場合に、住む場所や経済面だけでなく、月2回の宿泊付きの面会交流の負担を果たせるだろうか、ということも考慮要素にいれるべきでしょう。そして、面会交流の負担を考慮せずに決行された別居は、子どもの利益にかなわない別居の決行として、監護権、親権の場で厳しく検討する。
そういうありかたが望ましいといえます。
そうすることで、父母が別居・離婚ということになっても、子どもが当てつけの道具にされることなく、子どもの利益が守られることになると思われます。
弁護士 小林 芳郎
マイタウン法律事務の所長弁護士。男性の離婚事件を数多く扱う。